私と知華
辺野古ボート転覆事故遺族メモ
2026年5月2日 22:39はじめに
知華が旅立ってから、明日で四十九日を迎えます。 この間、たくさんの方が知華を想い、言葉を寄せてくださいました。 家族だけでは抱えきれない悲しみの中で、そのひとつひとつに支えられています。本当にありがとうございます。
まだ、知華がいない毎日を受け止めることはできません。 それでも、知華が確かにここにいて、笑って、悩んで、楽しみにしていた日々を、姉として少しずつ残していきたいと思います。
今回は、姉である私から見た知華のことを書きます。姉の私にとって、知華は、喧嘩も多かった一方で、誰よりも近く、何でも話せる絶対的な味方のような存在でした。
小さい頃の知華は、4つ年が離れていた分、私の後を追いかけるようにして、毎日を楽しんでいました。
でも、知華が成長するにつれて、だんだんとやることや興味が似てきて、いつの間にか、ただの妹というより、一番近くにいる友達のような存在になっていました。
嵐やトレ、セブチの推し活、メイク、服装、髪型。
本当に小さなことまで、知華はよく私の真似をしたり、「これどう思う?」「どっちがいいかな」と相談してくれました。
その日話した英語の先生とのやりとりや、友達や先生とのちょっとした言い合いまで、大学で離れて暮らしている私のもとに、いつも連絡を入れてくれました。
何でもないような話を、当たり前のように送ってくれる。 それが私にとっては、すごく嬉しくて、可愛くて、知華らしい日常でした。 私と知華|辺野古ボート転覆事故遺族メモはじめに 知華が旅立ってから、明日で四十九日を迎えます。 この間、たくさんの方が知華を想い、言葉を寄せてくださいました。 家族だけでは抱えきれない悲しみの中で、そのひとつひとつに支えられています。本当にありがとうございます。 まだ、知華がい...note.com
マジかわいそう
いつも通りのやり取り
「ねえ、びーりタグしてー!!」
「ともー、タグー!」
よく私たちの中で行われていた会話でした。
知華とは、そんな何でもないやり取りを毎日のようにしていました。
特別な話ではなくても、写真を送り合ったり、タグ付けを頼まれたり、今何をしているのかを伝え合ったり。⚡リアクションでいつもリアルな反応をくれて、離れて暮らしていても、知華の毎日はいつも私の近くにありました。
沖縄へ出発した日、その日はBeRealの通知が少し早めの時間帯に来ていました。友達との予定があり移動中だった私は、時間通りに投稿できていて、搭乗手続き前だった知華は、慌ただしくしていたようで時間に間に合っていませんでした。
「びーり頂戴!」
そう言ってきたのが、私が知華にあげられた最後のタグ付けでした。
朝5時までの姉妹タイム
沖縄へ行く少し前の3月11日、23時頃。
知華からビデオ通話が入ってきました。
通話には、インドネシアにいた父と、知華と母がすでに入っていました。
私はちょうど帰宅したばかりで、
「お風呂に入って、髪の毛を乾かしたら入るね」
と伝えました。
通話では、父の仕事の話をしたり、最近あったことを話したり、いつものように何でもない話をしていました。
2時前になると、父と母は睡魔に負けてベッドへ。
そこからが、いつもの姉妹タイムでした。笑
姉妹タイムは、いつも両親が寝てからです。
最近あった少し嫌だった出来事、恋バナ、テストの話、アメリカの大学の話、将来やりたい仕事の話、初任給で何を両親にプレゼントしようかという話。
私たちは、そういうことを夜な夜なよく話していました。
次の日、お互いに早い予定があったにもかかわらず、その日も朝の5時までビデオ通話をしていました。
美容院の予約があと数時間後に控えていた知華は、もう決めたはずなのに、最後の最後まで髪色を悩んでいました。
一方で私は、家でセルフネイルをしていて、一本ずつデザインをどうするか悩んでいました。
知華は髪色の候補を送ってきて、私はネイルの途中経過を見せる。
「これどう思う?」
「こっちの方がよくない?」
「でもこっちも可愛いよね」
そんな会話をしながら、お互いに悩んで、お互いのことを決め合っていました。
10年後の自分へ
十年後の自分へ
こんにちは、12才の知華です。22才の自分は元気ですか?なりたい自分になれていたらいいなと思っています。
今の私はまだジャニーズ好きですか?もしそうなら聞かせてください。嵐はまだ活動していますか?多分今の私は嵐に興味がないと思いますが、ぜひ思い出してみてください。 私は確かにこのグループが好きだったなーって。
成人してお酒を飲んでいると思いますが、私はお酒に強いですか?両親そろって弱いからたぶん弱いかな?
(姉)は今も元気にしていますか?
なんか手紙に(姉)のこと書くなんてよっぽど(姉)のことが好きなんだろうね! けんかしても絶対に仲直りして!
私は今でもしつこいと言われるほどあやまってもゆるしてくれないから連絡を自分からやめて1週間すると仲直りできるから!
私はこれからも立派にかんばるので十年後の私もがんばってください!
10年後の自分へ
10年後、知華はきっと自分の夢をひとつひとつかなえ、世界に羽ばたいていたはずでした。元気で、なりたい自分になれていたはずでした。こんなところで終わってもいい人生なんかじゃ絶対になかったのに。
嵐のラストツアーも楽しみにしてたよね。ライブ配信あるかなって楽しみにしてたよね。一緒に見たかったな。
私のお酒の弱さを笑ってたよね。知華はもっと強いはずって。一緒に飲みにいきたかったな。
喧嘩もよくしたね。
言い合いになることもあったし、私が言わなくてもいい言葉で知華を傷つけてしまったことも、きっと何度もあったね。
それでも思い返せば、どんな喧嘩も、気づいたらいつの間にか仲直りできてたよね。知華のおかげだったんだね。
知華が、ちゃんと仲直りしようとしてくれていたからだったんだね。
私はあなたにとって、いいお姉ちゃんでしたか。
自慢できるお姉ちゃんとは、程遠かったかもしれない。
何度も、言わなくてもいい言葉で傷つけたかもしれない。
もっと優しくすればよかった。もっとここ行きたい、あれしたいを叶えてあげればよかった。後悔しかありません。
それでも、知華の友達から聞く、知華が周りに話していた私の話は、愛に溢れていました。その話を聞くたびに、涙が止まりません。
たった一人の妹
年明けから、私が色々な問題を抱え悩んでいた時期がありました。
そんな私を心配して、知華は母と一緒に家まで来てくれました。
そして、机にあったメモ用紙に、手紙を書き残してくれていました。
知華は(姉)と一緒に花道だけを歩きたいよ。
大好きだよ。
たった一人の妹より
2026年1月 知華が私の部屋に置いて行った手紙より
花道だけを歩きたい (”幸せになろうよ” という K-POPでよく使う言葉)
その手紙の最後には、
「(誕生日にくれた)ネックレスほどいておいたから使ってね。10Kだよ」
という、知華らしい一言も添えられていました。
どんな時も、何があっても知華は絶対に私の味方でいてくれました。
私にとって知華は、たった一人の妹で、たった一人の、絶対的な味方でした。
その知華が、もういません。
そう思うたびに、今でも胸が張り裂けそうになります。
お互いの結婚式で
結婚式の話も、よくしていました。
「パパとママは出番があるのに、妹の出番がないのはおかしくない?」
そんな話をして、私たちはお互いの結婚式で、お色直しの時に一緒に歩こうと約束していました。
知華が隣で笑って、少し照れながら、でもきっと楽しそうに一緒に花道を歩いてくれるのだと思っていました。
20歳の誕生日
知華は、私が友人の誕生日をホテルでバルーンを飾ってお祝いしている写真を見るたびに、こう言っていました。
「ねぇねぇ、20歳の誕生日の時、もし知華に彼氏がいなかったら、ホテルでバルーンで盛大にお祝いしてね!」
彼氏がいてもいなくても、そうしてあげるつもりでした。
何をあげようか、どんなふうに驚かせようか、楽しみにしていました。
それなのに、なんでいなくなっちゃったんだろう。
知華のことを正しく伝えるために
父がこのnoteを開設した目的の一つに、知華のことを正しく伝えることがあります。
知華は、誰かの主張のために沖縄へ行ったわけではありません。
沖縄戦の歴史や経済、文化を勉強し、メイクや服装に悩み、お友達と沖縄へ3泊4日の旅行に行くことを楽しみにしていた、一人の女の子でした。
沖縄のテレビや新聞では、ほとんどこの事故の報道は無いと聞いています。
もしかすると、知華は抗議活動に参加していたと、まだ思われているかもしれません。
SNSにあまり触れない沖縄の年配の方々にも、知華の本当の姿を知っていただきたく、私たちの note のことを伝えていただけると嬉しいです。
知華の姉より
今の若者にどれくらい浸透してるか
使われてるかよく分かったわ
意思の現れだと思うけど。第三者委員会腑抜けた
内容だったら即提訴だろこれ
気の毒でならない
9条がなければこんな事故は起こらなかった
遺族に平安がありますように
この世に正義がありますように
人殺し達が正しく裁かれますように
涙が…
碌でもないの確定じゃん




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