20年前の2006年9月に、台風13号による集中豪雨の災害取材中に行方不明になった中国新聞社の松田高志記者=当時(27)=の骨の一部が、広島市中区白島北町付近の京橋川で見つかったことが4日、分かった。
複数の関係者によると、発見現場は、取材に向かった安佐北区安佐町鈴張から約20キロ離れた地点。今年8月12日に「浅瀬の砂地に埋まっていた骨のような物を見つけた」と現場にいた人から広島県警に通報があった。県警はDNA型鑑定で、松田記者の骨の一部と特定したという。10月下旬に、家族に引き渡された。
松田記者は当時、安佐北区可部の北広島支局(現安佐北支局)に勤務。06年9月16日午後9時過ぎ、同区などで発生した集中豪雨災害を取材するため車で支局を出発し、鈴張の現場に向かった。10時20分ごろ、同僚と携帯電話で話をした後、連絡が取れなくなった。
この豪雨では鈴張の国道261号が鈴張川の増水で崩落。県警や市消防局は、松田記者が乗っていた車ごと川に流されたとみて、消防団や地元住民、広島海上保安部、中国新聞グループ社員、販売所従業員たちも加わり捜索を続けた。鈴張川や太田川から車の部品、運転免許証などが見つかったが、松田記者の発見には至っていなかった。
09年、広島家裁が出した特別失踪(しっそう)宣告が確定。戸籍上の死亡の手続きが取られた。
中国新聞社の岡畠鉄也社長の話
松田記者が行方不明になってから20年後に、約20キロ離れた広島市内の川で発見されました。仲間の待つ新聞社に懸命に戻ろうとして戻れなかった無念さを思うと、胸が詰まります。長きにわたり、ご家族が抱えてこられた深い悲しみとご心労を思いますと、言葉もございません。あらためて心からの哀悼の意を表します。これまで捜索に尽力くださった関係機関、地域の皆さまに深く感謝いたします。
松田記者の遺志を重く受け止め、今後とも安全な取材体制の徹底と、災害報道を通じた地域の安全確保に全力で取り組んでまいります。
「ずっと気にかけてきた」 取材エリアでしのぶ声
2006年9月の集中豪雨の取材中に行方不明となった中国新聞社の松田高志記者。北広島支局員として広島県北西部の広いエリアを駆け、山間部の住民の暮らしや地域課題に寄り添った。当時を知る人たちはあらためてその人柄をしのんだ。神楽や酒造りといった伝統文化の発信に意欲的だった松田記者。広島市安佐北区可部を通る旧雲石街道沿いの酒蔵「旭鳳(きょくほう)酒造」の常務浜村郁子さん(73)は「足しげく通ってくれて、真剣な表情でメモを取る姿を今でも覚えている。若い人が志半ばで事故に遭い、ずっと気にかけてきた」と、20年の月日を振り返った。
都市部から人を呼び込もうと、松田記者は自然や観光情報の発信にも精を出した。安芸太田町観光交流課の主幹だった佐々木知昭さん(70)は「田舎を応援する気持ちが取材の姿勢にあふれ、地域に根差した記事を読むのが楽しみだった」。
捜索には当時、安佐北区の住民有志も加わった。呼びかけた市民団体「可部カラスの会」の事務局長だった寺本克彦さん(68)は「まちづくりを後押しする記事をたくさん書いてくれた。『わしらもてごう(手伝い)しようや』と大勢の人が集まり、目を凝らして川沿いを歩いた」と、しみじみと語った。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/919539
11/5 9:30
中国新聞
円安物価高なんとかしろよカス
貧乏神のリフレ高市は辞めろ!!
1ドル=80~120円にしろ
円安ホクホク野郎はとっとと日本からでてけ!
20年も前か
スレタイ訂正
正・20年前の2006年
です
広島本社の地方紙
安佐北区てのは広島駅から車で40分?くらいだが、ド田舎
白島てのは多分広島駅から徒歩10分?くらいの街中だな
20年前の骨でもDNAサンプルが取れるってすごいな
髪の毛だって根元の白いのがついてないと取れないんだろ?
髪の毛がなかったらどうしたらいいんだ?
あぁそうだったのか
台風生中継名物だった雨合羽被せて突撃レポートやめた理由はこれだったのやね
いろいろすごいな
まあ豪雨の時だからな
道路が崩落するくらい増水してる川に流されたんだし
むしろ遺留品が発見できたことの方が凄いのでは
捜索に当たった人達が念入りに川底の土砂を浚ったんだろうな
次頑張ろうぜ
釣りスレかな



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